2009年10月29日

“愛”と“愛情”



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先日の記事で図らずも“愛”という言葉を使ってしまったが、

その表現が、あまり適切でなかったように思うので、

補足したいと思う。


先の記事で用いた“愛”とは、

この宇宙を司る根源的な力の源の事であって、

人同士の思いやりや、相手を深く大切に思う心とは

かなり違ったものだ。


その力の本質は基督教に於いては“アガペー”、

また、仏教に於いては“慈悲”と称され、

神仏から万人に与えられる無条件の愛、

所謂、“無償の愛”というものだ。


あそこで“愛”と云う言葉を持ち出す気は、更々、無かったのだが、

何故かそう表現してしまった。


あながち、的外れだとは思わないが

本来、無宗教の自分が、あのような表現をした事は、

取り分け、人が“愛”と云う言葉を好んで使う事の現れかも知れない。


しかし、人が日常の中で使う“愛”と

あそこで使った“愛”には大きな隔たりが在る。


神仏の“愛”が対象を選ばず、全くの無条件、かつ無限の

不変の“愛”で或る事に対し、

俗に人の云う所の“愛”とは“愛情”という感情の一種で、

極めて限定的なものだ。


その証拠に、本来、尊ぶべき、その“愛”の名の下に

悲惨な諍いが後を絶たない。


その様は、基督教的隣人愛や仏教的慈悲の心を

理解しているとは、到底、思えない。


極めて自分本位、かつ差別的で、

乱暴な言い方をすれば、

“愛情”は衝動と欲望の延長線上に位置し

その、自分本位な思いを実現する為には手段を選ばぬ

貪欲で凶暴な一面も併せ持っている。


最も極端な例が民族や異文化間の争いで

邪教を信仰する悪魔の使途は、

根絶やしにする事も厭わないという

神や仏の教えとは、まるで相反する行為が

有史以来、信仰の名の下に行われ続けている。


本来、人を救い、教え、導く為の宗教は、

時の権力者により、人心を操る手段に成り下がり、

この地上に“愛”が実現される未来は、未だ、見えて来ない。


しかし、ひとりひとりの人間は、弱さもあるが、

その一方で、他者を思いやる心を持ち、

家族や友人、大切な誰かを愛し慈しむ事の尊さを

知っている事も、また、事実だ。


人は、その弱さ故に誰かを必要とし、

その存在が大きなものであればあるほど、また、苦悩も大きく、

日々、心の中で激しい葛藤を繰り返しながら、

成長し、真実の愛に目覚めて行くのかも知れない。


いつの日か、全ての争いが終結する

未来が実現する事を願って・・・。




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posted by 吟遊奇人 at 00:00 | Comment(0) | 言葉の扉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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