2009年08月17日

信じる力



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人は「信じる」という言葉を安直に使う。


人の言動を確たる根拠も無しに疑がったりせず

信じるという事が美徳だと感じているのだろう。


確かに「信じる」という肯定的な言葉を口にする事により

前向きな意識を持つ事が出来る。


しかし、その反面、

「信じる」という言葉を口にした回数と同じ位

「裏切られた」という言葉も、良く口にする。


だが、他人に対する信頼というものは

そう簡単に覆るものなのだろうか?

人を信じるには、それなりの覚悟が伴う事を自覚して

その言葉を口にしているのだろうか?


「信じる」という言葉は、その対象の持つ信憑性が

誰の目にも明らかである場合には使われない。


不確定要素が高く、むしろ疑わしいとさえ思える場合に

使う言葉ではないのか?


だとすれば「信じる」という行為には

それなりの想定外の事が起きる可能性も

考慮されるべきではないのだろうか?


他人に対して「信じる」と言う時は

その人物に好感を持っているか

或は、期待を持っているという事だ。


そして、その人物が

自分が考えていたような人ではなかった。

または、期待はずれな行動をとった。


そう認識した時に、「裏切られた」

という言葉を口にする。


非常に落胆し、自分を裏切った人物を恨む事さえ在る。


しかし、その責任を相手にだけ押し付けるのは

公正ではない。


安易に他人の言葉を信用した自分自身の愚かさを

まず、知るべきだ。


信じる事を選択したのは自分自身なのだから。


そもそも相手のとった行動は裏切りなのか?


ただ、その人の思うままに行動した結果が

自分の抱いていた期待に

そぐわなかっただけではないのか?


或は、相手の人格や能力を

見誤っただけではないのか?


結局、人は自分にとって都合の良い期待を

相手に押し付けているだけなのだ。


だが、それは「信じる」という言葉の

本来の意味にそぐわない。


「裏切られた」と感じる時、それは、

「信じる事を止めた」とも言い換えられる。


一体、どの段階で、その判断を下すのだろう?


その境界線は何処に在るのだろうか?


真の覚悟を持って

「信じる」という言葉を口にする時

「裏切り」は存在する余地が無い。


「信じる」という事は「信じ抜く」という事だと思う。


一旦、「信じる」と決めたら

全身全霊で信じ抜く事が

「信じる」という言葉の持つ

本来の意味ではないのだろうか?


しかし、決して他人の言葉に惑わされず

自らの判断を信じて疑わないなどという事は

常人には到底、不可能だろう。


無謀とも言える行動力でどんな困難にも立ち向い

冷静な判断と決断を以て窮地を乗り越えられる

強靭な精神力を持った人物だけが

為し得る事だろう。


むしろ、迷いながらも手探りで

挫けそうな心を叱咤激励しながら歩み続ける事の方が

人間らしいとも言える。


ともあれ、最終的に望まれるのは

自分自身を信じるという事に

尽きるのではないだろうか・・・。


その一言こそが、明日への扉を開く

魔法の鍵となるのだろう。




最後まで読んで頂いてありがとうございます。
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posted by 吟遊奇人 at 00:00 | Comment(1) | 言葉の扉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あしから来ました。
ぐって頂きありがとうございました^^

また遊びに来ますので
今後ともよろしくお願いします。

ぐって&応援ぽち!
Posted by taka2 at 2009年08月17日 14:16
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